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【2025/05/04 06:11 】 |
マイク・ジョーンズ (プロレスラー)
マイク・ジョーンズ(Mike Jones、1962年6月13日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州ナッシュビル出身のアフリカ系アメリカ人。WWEにおけるバージル(Virgil)のリングネームで特に知られる。
目次 [非表示]
1 来歴
1.1 初期
1.2 WWF
1.3 WCW
1.4 引退後
2 得意技
3 獲得タイトル
4 脚注
5 外部リンク
来歴 [編集]

初期 [編集]
バージニア大学を卒業後、ジェリー・ジャレット(後のTNA創設者)とジェリー・ローラーが主宰していたテネシー州メンフィスのCWAにてデビュー[1]。
ソウル・トレイン・ジョーンズ(Soul Train Jones)をリングネームにベビーフェイスのポジションで活動し、デビューして間もない1987年1月にビッグ・ブバを破りCWAインターナショナル・ヘビー級王座を奪取[2]、4月には黒人レスラーの大先輩ロッキー・ジョンソンとのコンビでAWA南部タッグ王座にも戴冠している[3]。
WWF [編集]
1987年下期、ラシャス・ブラウン(Lucius Brown)の名義でWWFに出場した後、8月よりバージル(Virgil)と改名してヒールに転向し、"ミリオンダラー・マン" テッド・デビアスのボディーガード役として本格参戦を果たす。なお、"Virgil" のリングネームはボビー・ヒーナンのアイデアにより、当時のWWFのライバル団体NWAジム・クロケット・プロモーションズの幹部だったダスティ・ローデスの本名から取られている[4]。以降、主人デビアスのセコンドを務めつつ試合にも時折出場し、ハルク・ホーガンやランディ・サベージとの抗争に介入した。
しかし、デビアスの横暴ぶりに耐えかね、1991年1月19日のロイヤルランブルにてデビアスを殴打してベビーフェイスに転向[5]。以降はフルタイムのレスラーとして活動し、1991年全般に渡ってデビアスとの抗争を展開、3月24日のレッスルマニアVIIではロディ・パイパーの援護でデビアスを破り[6]、8月26日のサマースラムではデビアスからミリオンダラー王座(Million Dollar Championship)を奪取した[7]。11月27日のサバイバー・シリーズにはパイパー、ブレット・ハート、ブリティッシュ・ブルドッグとのチームで出場し、リック・フレアー、デビアス、ザ・マウンティー、ザ・ウォーロードのチームと対戦している[8]。
翌1992年4月5日のレッスルマニアVIIIでの8人タッグマッチでもナスティ・ボーイズのブライアン・ノッブスからフォールを奪い、自チーム(バージル、ビッグ・ボスマン、ハクソー・ジム・ドゥガン、サージェント・スローター)を勝利に導くなど[9]、黒人スターに仕立てるべくWWFのプッシュは続いたがブレイクには至らず、以後はネイルズやヨコズナなどヒールのニュー・カマーのPPVデビュー戦におけるジョバーを任されるようになる。1993年も新番組『マンデー・ナイト・ロウ』のジョバー要員となり、1994年の夏にWWFを退団した。
WCW [編集]
1996年、WWFを離脱しnWoのスポンサーを演じていたテッド・デビアスの招きでWCWに登場。かつてWWFがNWAを揶揄して彼をバージルと名付けたように、WWFへの面当てとしてビンス・マクマホンのファーストネームであるビンセント(Vincent)にリングネームが変更され[4]、"Head of Security" の名目でnWoメンバーのセコンド役を務めた。1999年3月14日にはnWoのBチーム「nWoブラック&ホワイト」のリーダーの座をかけて、PPV "Uncensored 1999" にてスティービー・レイと対戦したが敗れている[10]。
nWo消滅後は、WWFからヘッドハンティングされたビンス・ルッソ[11]が仕切る "Powers That Be" のアングルにおいて、シェイン(Shane)と改名してルッソの部下を演じる。このアングルは、当時WWFでビンス・マクマホンが率いていたコーポレーション[12]のパロディであり[13]、シェインの名はビンスの息子シェイン・マクマホンを嘲ってネーミングされた[4]。
1999年の末には黒人カウボーイのカーリー・ビル(Curly Bill)に変身し、カート・ヘニングやバリー・ウインダムらが結成していたウエスト・テキサス・レッドネックスに加入[14]。その後はミスター・ジョーンズ(Mr. Jones)の名義でアーネスト "ザ・キャット" ミラー[15]のマネージャーを短期間担当した。
引退後 [編集]
2000年にWCWを離れて引退してからは、大学時代に取得した数学の学位を活かし、ペンシルベニア州ピッツバーグにてカトリック・ハイスクールの数学教師に転じた[16]。教鞭を執る一方でインディー団体にも時折参戦し、2005年1月29日にフロリダ州タンパで開催されたリユニオン・イベント "WrestleReunion" では、グレッグ・バレンタイン、ジェイク・ロバーツ、バグジー・マグロー、チャボ・ゲレロ・シニア、ノーマン・スマイリーらと共にバトルロイヤルに出場[17]。2006年3月5日の "World Wrestling Legends" ではリック・スタイナーと対戦した[4]。
2010年5月17日、テッド・デビアス・ジュニアのボディーガードとしてWWEのRAWに登場。6月14日の放送ではデビアス・ジュニアとタッグを組み、ゲスト・ホストの俳優マーク・フォイアスタイン(Mark Feuerstein)とビッグ・ショーのチームと対戦するなど、短期間ながら16年ぶりのWWE復帰を果たした。
WWF時代のテッド・デビアスとのコンビは主人と召使の主従関係だったが、プライベートでの両者は兄弟のように親しい友人同士であり、ジョーンズはデビアスのことをレスラーとしても人間としても尊敬していたという[16]。
得意技 [編集]

ミリオンダラー・ドリーム(Million Dollar Dream)
ドロップキック
キャメルクラッチ
ロシアン・レッグ・スウィープ
クロス・ボディ
獲得タイトル [編集]

CWA
CWAインターナショナル・ヘビー級王座:1回 [2]
AWA南部タッグ王座:1回(w / ロッキー・ジョンソン)[3]
WWF
ミリオンダラー王座:1回 [4]
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【2011/01/05 02:09 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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