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【2025/05/04 05:22 】 |
境敦史
KAI(かい、男性、1983年5月20日 - )は、日本のプロレスラー。神奈川県横浜市出身。横浜市立桜丘高等学校卒業。全日本プロレス所属。
目次 [非表示]
1 経歴
1.1 メキシコでの活躍〜凱旋帰国
1.2 若手から全日ジュニアのホープへ
2 得意技
3 獲得タイトル歴
4 入場曲
5 人物
6 関連項目
7 外部リンク
経歴 [編集]

中学時代は野球部に所属。練習はかなりキツく毎朝6時から10km走ったり、台風の中でスライディングの練習をしたこともあるというが、この時培われた基礎体力が後に役立ったと語っている。
元々プロレスに対してさほど興味は無かったが、高校1年生の時に新聞の懸賞で新日本プロレスの東京ドーム大会のチケットが当たって観戦したことからプロレスにどっぷりハマることとなった。またこの時のメインは後の全日本プロレス社長の武藤敬司が務めていた。
それからというもの学校に行けば朝から週刊プロレス、週刊ゴング、週刊ファイト、内外タイムスを読みあさり、バイト代は全て週末のプロレス観戦費用につぎ込むようになる。 この時からプロレスラーになることを夢見るようになり高校2年で柔道部に入部(同部の先輩には石塚英彦がいる)。入部初日に「プロレスラーになるために来ました。宜しくお願いします」と挨拶し、高校3年になって他の部員が引退して受験勉強に励む中、一人トレーニング場で筋トレに励んだ。
当時は日本のプロレスよりもWWEなど海外のプロレスに興味を持っておりWWE入団を夢見ていた。しかし、知り合いの誘いで海外インディー団体を観戦するため渡米するがその団体のレベルの低さに愕然とし、やはり日本のプロレスの方がレベルが高いということで日本の団体でプロレスラーになることを志す。
高校卒業後、新日本プロレスの入門テストを受けるが若過ぎたことと身長が低かったことで失格。ちなみにその時彼を落としたのは永田裕志。そして同じく試験を受けていたのは中邑真輔と後藤洋央紀だったという。
知り合いの勧めで入門したアニマル浜口ジムに約3年半通い体を鍛え、2006年に行われた『武藤塾』の新人オーディションに合格し入門する。同期にはT28がいる。
練習生時代は武藤敬司に師事し付き人を務めていた。
メキシコでの活躍〜凱旋帰国 [編集]
2007年2月に、同期入門の三原弘嗣(YAMATO、現在の大和ヒロシ)と共にメキシコ修行に出る。2月22日、IWRGにてKAIのリングネームでアレナ・ナウカルパンにてロス・トラウマス1号2号相手に3本勝負形式でプロレスデビューし見事勝利を飾る。
6月3日、YAMATO、元SUPER CREWのSASAKIと組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。
2008年2月17日の後楽園大会で日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーは大和ヒロシ)。
その後、大和とのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に出場。若手ながらも奮闘し、土方隆司、中嶋勝彦組、NOSAWA論外、MAZADA組から大金星をあげる。
4月20日、同期であり同門でもあるT28とのシングルマッチが実現。試合ではKAIがスプラッシュブランチャで勝利した。意外にも、シングルマッチはこの試合がレスラー人生初で、デビューから1年以上経っている選手にしては珍しいことである。
5月5日、韓国・ソウルでの新韓国プロレスNKPWA世界チャンピオン決定戦に、真田聖也とのタッグでの出場が決定した。
若手から全日ジュニアのホープへ [編集]
6月10日、武藤祭にて土方隆司、カズ・ハヤシを相手に3WAYマッチが決定。そして試合当日、なんと世界ジュニア王者の土方から必殺のスプラッシュ・プランチャでフォール勝ちを奪うという大金星を納め会場から大歓声を受ける。対戦相手の1人であるカズに「スゲー化け物が出てきたなって感じですね。」と言わしめた。
6月28日、シリーズ最終戦では開幕戦でタッグマッチながら敗れていたT28からスプラッシュプランチャでリベンジ。そして土方隆司、エル・サムライの世界ジュニア王座戦終了後にジュニアの面々がリングに集合。カズのマイクを横取りして挑発し次期シリーズのジュニア・ヘビー級リーグ戦に向けてアピールした。
ジュニアリーグ最終戦でMAZADAを撃破。決勝に上がってきた元世界ジュニア王者のシルバー・キングも変型みちのくドライバーIIで下し、1日2戦の激闘を潜り抜け優勝を果たした。デビューから1年5か月での快挙であり、若手ジュニアの中でも頭一つ飛び抜けた。
そして更に8月31日、両国国技館で世界ジュニア王者の土方隆司への挑戦が決定。デビューして1年6か月での世界ジュニア王座挑戦は世界ジュニア史上最速での挑戦である。
8月22日、後楽園での小島聡対TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、大和と共に救出。小島、大和と新ユニット「F4」を結成し活動して行くことを宣言した。
8月31日の国技館大会で、土方隆司との世界ジュニア王座戦に挑んだ。期待は高かったが初挑戦・初戴冠はならなかった。
10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・Hと激突したが、惜しくも敗れる。11月3日、両国でF4のメンバーと組んで新日本プロレスの天山、そしてIWGP・ジュニアタッグ王者の内藤哲也・裕次郎と対戦。
2008年末のプロレス大賞新人賞部門にノミネートされ、最終選考まで残るが惜しくも受賞を逃した。
2009年新春シャイニングシリーズで小島と組んで復活したアジアタッグトーナメントに出場。1回戦は通過したものの準決勝で破れ、自身初となるベルト獲得はならなかった。
2月6日、鈴木みのる、MAZADA組との対戦後、また小島と組んでアジアタッグに挑戦することが決定。結果はみのるの逆落としからのスリーパーという必殺フルコースで敗北。鈴木から「良いオモチャを見つけた」と賞賛(?)を浴びた。
5月15日に行われた腐男塾とのコラボ大会「腐ァイティングライブ 2009 勝つんだ!」では第1試合で「阿修羅像」をモチーフにしたコスチュームでブードゥーマスクと対戦し勝利。試合後は四方に向かって4人で阿修羅像のポーズを決めた。
2009年度のジュニア・ヘビー級リーグ戦では開幕戦で世界ジュニア王者のカズに勝利し前大会優勝者としての意地を見せる。そのまま勢いに乗ってAブロック1位に躍り出るも、優勝決定トーナメント1回戦でBブロック2位の近藤修司に破れ優勝を逃した。
8月30日、両国大会ではF4の一員としてプロレスリング・ノアの小橋建太、菊地毅、伊藤旭彦と6人タッグで激突。
12月13日、ファン感謝デーにて大和と組んで小島と女子プロレスラーの下田美馬と対戦し、結果大和が下田のラ・マヒストラルでフォール負け。試合後「恐れ入りました。」と頭を下げた。
2010年、ブードゥーマーダーズとの抗争が激化し、2月7日の後楽園大会で敗者チーム解散キャプテンフォール・イリミネーションマッチを決行するがこれに敗北。F4の解散が決定してしまう。
その後は世界ジュニアに標準を絞り、3月の両国大会でジュニア絶対王者のカズに挑戦。王座奪取はならなかったがカズから「ありがとう」との言葉を受け取った。
その後も全日若手のホープとしてジュニア戦線を盛り上げている。
得意技 [編集]

スプラッシュプランチャ
現在のフィニッシャーでいわゆるフロッグスプラッシュ。日本デビュー戦でこの技を初披露し見事フォール勝ちを納めた。
LAT
変型みちのくドライバーII。ジュニア・ヘビー級リーグ戦の決勝戦で披露。相手のシルバー・キングを下し、リーグ戦を制覇することになった。名前の由来は、メキシコにある歴史的建造物からとっている、との説がある。
KAIクラッチ
いわゆるオクラホマロール。カズ越えを果たした技でもある。
BTバスター
相手の背中に両膝を押し当ててから後ろに倒れこみ背中に衝撃を与える変形のバックブリーカー。WWEのカリートの得意技でもある。
ダブルアーム式パイルドライバー
ジュニア・ヘビー級リーグ戦でのエル・サムライ戦にて披露。
ダイビング・フットスタンプ
獲得タイトル歴 [編集]

2008年度ジュニア・ヘビー級リーグ戦 優勝
入場曲 [編集]

BANG BANG SHOOT / 松本晃彦
人物 [編集]

自称プロレスマニア。単に勝ち負けだけの総合格闘技やK-1には全く興味が無いらしく「生涯一プロレスラー」と宣言している。
他団体のレスラーからの評価も高く、DDT社長の高木三四郎は「KAI選手はすごく良い」と絶賛している。
アニマル浜口ジム出身だけあってリングを降りると非常に礼儀正しい好青年であると伝えられている。同門にはT28がいるが先輩には新日本プロレスの内藤哲也やDRAGON GATEの鷹木信悟がおり、特に鷹木とは仲が良かったという。
元々は黒い髪に黒いコスチュームが彼のトレードマークであったが、F4に所属してから大幅なイメチェンを施している。2008年10月後楽園では、鮮やかなオレンジ色に髪の毛を染毛。染毛したのは有名なカリスマ美容師で、このことは週刊プロレスでカラーの2ページで取り上げられた。
T28がメキシコ修行に行った後の全日本道場の寮長を務めている。
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【2010/12/28 19:27 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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